made-in-mars’s diary

今日も今日とて推しが尊い。

コロナワクチン5回目

親の世代は7回目の接種を終えています。私自身は4回目の頃、すでに家族全員かかったしもういいかな~とか思っていましたが、ミケーレのこの投稿を読んでから考えを改めて打っています。
自分たちの世代が打つことによって病気そのものを撲滅できれば、次の世代が打たなくてもいいようになる、という発想はなかった。

何より刺さったのが、60年代にFBがあったら俺の腕にも父親と同じ傷跡(義務接種だった天然痘の接種跡)があったと思う、という痛烈なネット社会への批判でした。人と情報の移動があまりにも簡単にできるようになってしまった現代において、予防接種による病原体の封じ込めは二度とできないんだろうな、と考えさせられる投稿でした。

スウェーデンのように集団免疫を目指した国もあった訳で、ワクチンを打たないという選択をした人もそれなりの根拠はあるのだろうし、それを他人に強制しない限りは非難するつもりはありませんが、自分で調べて情報を精査してからの判断ではなく、始めに目に留まったものを信じて動くという短絡的な動機、周りの流れにそのまま乗ってしまうという浅はかさがまかり通ってしまうのはSNSの悪い所で、イイネの数が見えたり誰がイイネしたのかが判るのでそれを根拠にしてしまうというのは、かつてはなかった判断基準です。
医学的根拠ではなく政府が牽引することには裏があるはず、という陰謀論めいた迷信があまりにも安易に(悪意もなく、人によっては善意のつもりで)拡散されてしまう上にそれを信じる人が一定数いるということにも驚くと同時に、イタリアの場合は政府不信が酷いからまぁ…国民感情は判らなくもないし、欧州で率先して対策をしていたオーストリアの政府は本当に苦労してたんだな、と実感しました。早々に感染対策を緩めて、感染が広がったらロックダウン、ワクチンを義務化したと思ったらすぐに取り消してっていう…毎回決断は早いんですけど、なんでだか裏目に出るんですよね…。

初めて流行ったウイルスなら危険性が未知数なのは当たり前で、初めて作るワクチンは危険が伴うのも当たり前だし、どっちに転んでも危険性があるなら人類皆実験体なんだから諦めて協力しろよ、という思いがあるので、副反応で1回目から酷い目に遭った人は、その時点で検体としての価値は十分あったのでそれ以上苦しみたくなければ2回目は打たなくてもいいでしょうし、逆に感染したらそれ以上に苦しいかもしれないから我慢して2回目以降も打つ、というのもデータとしては有難い。極論、老い先の短い老人から優先的に接種させる日本の方針はある意味で理に適っていると思います。

ただリスク分散という観点から見れば、安全性が確立されていないという点では他の予防接種にしろ市販薬にしろ100%の保証があるものなんて存在しないのは同じなのですが、やはり開発から間がないので臨床データも乏しく先が長い子供に打つのは時期尚早というのが私の判断で、すでに感染した10歳未満の子には打っていません。
私自身は「感染歴あり・糖尿病予備軍・ほぼ24時間家にいて運動しない人間」というどうにもこうにもなサンプルですが、全体から見たら微々たるものとはいえデータを蓄積するための検体としての意義はあると考えます。